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蔵人になってしまった 天穏 タオ(岡田)

 平成15年の4月、小学校の教員として聞いたことも行ったこともない「温泉津町」という田舎町に行かされ、後日、教員住宅前にて『岡田君歓迎バーベキュー』が開かれました。 隣の小学校の校長先生が持って来てくださった『温泉津町会員限定の酒』なるものを湯飲み茶碗にゴプゴプと注がれて飲んだ瞬間に、純米酒の美味しさを初めて知りました。あの時の鮮烈な印象は今でも忘れません。 

後日談ですが、そのお酒は『開春』亀五郎 無濾過生原酒(自家貯蔵により、しっかり生老ね)ということが判明。ただ、開春の生老ねは今でも飲めます。 

それから純米酒を飲み始め、単純に『米と麹と水と酵母しか使わないのになんでこんなに味が色々とちがうのだろう?』ということに興味を抱き、日本酒ガイドブック的なものを読みあさり、次第に飲むほうではなく造るほうに関心が向いていき、いつかお酒造りをしてみたいと思うようになりました。 

それが、日本酒造りに行こうと思ったいきさつです。要は、地元の純米のナマゲンの生老ね飲んで、感動して、本読んでたら造りたくなった、ということです。 

以下、余談ですがついでに書かせてもらいます。 

造りへの欲望は抑えつつ、仮面教員を続け、2学期の残務処理を終えた私は開春の社長に頼み込み、12月28~30日の3日間、蔵で住み込みさせてもらい見学、粕切りのお手伝いをしました。当時、杜氏であった奥村さんからは、せっかくガッコの先生になったんだからやめときなはい、と言われ、社長からも斜陽産業に飛び込んでくることはないと、反対されました。 

この頃と前後しますが、天穏にも蔵見学で来たことがあり、長崎杜氏とも仕込み蔵の足場で頭を低くしながら話したことを覚えてます。今はうちも人が足りてるし、教員やってんだからもったいないぞと、反対されました。 (後日、天穏に入社して造りに入ったときに、おやっつぁんから『あんときゃ、やめとけといったもんだがのぉ』と言われ、覚えてくれていたことが嬉しかったです。) 

平成16年の3月31日をもって、1年間で臨時教員をやめました。母親に泣かれ、父親に笑われ、兄に馬鹿にされながらも唯一人励ましてくれたのが、痴呆症全開の祖父でした。 

その後、大阪の山中酒の店に4月から約10ヶ月間お世話になり、一升瓶を鞄に入れてチャリンコに乗って市内中を走り回り飛び込み営業&地方飲食店への電話営業をし、1月下旬から開春に蔵人として入蔵。この大阪にいた頃にお燗酒や料理との相性についてなど非常に勉強させて頂きました。 

で、平成17年4月に1ヵ月間ほど、もといた温泉津の小学校の臨時教員をさせて頂き、5月の連休明けに開春の奥村杜氏から我が家に『近くの板倉酒造が若いもんをほしがってるみたいだから行って見なさい。』と言ってくださり、面接を経て5月21日より年間雇用として採用されまして、現在に至ってます。 

 

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